Tuesday, July 25, 2006

[days / books]_ おかしな二人 岡嶋二人盛衰記 を買った / 読書に対する持論について

立ち寄った本屋で岡嶋二人井上夢人の特集が組まれて、十数の書籍が本屋の一角に平積みにされていた。
そして、それぞれに対して3行4行のメッセージが添えられていた。 ご丁寧にも。
丁度、このブログでも最近話題に上げたばかりであり、奇妙な符合を感じざるを得なかった。

なぜ、この時期? なぜ、岡島二人?

・・・・・・
岡嶋二人とは、文字通り二名の作家による合作における作品時のペンネームである。
(もう、だいぶ前にコンビ解消して)井上夢人はその一人、つまり半分である。

・・・という知識はまあ、チョット調べればすぐ分かることで、実際私はこ岡嶋二人先生の作品は(井上夢人先生のも含めて)「クラインの壷」しか読んだことは無い。
「おかしな二人 岡嶋二人盛衰記」は井上夢人名義の自叙伝(?)である。
作品の草案段階でのアイデアや二人(及び編集者)を交えたやり取りなどが記されている。

なぜ、この本を買ってしまったのか・・・? 多分自分は岡嶋二人とその作品について知りたいと思ったのだろう。

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「小説を読む」というのはものすごく労力と時間のいる作業である(少なくとも私にとっては)。
とても「片手間」では読むことはできない。
本を手に取り3時間、小さい文字を凝視して、その風景をイメージし、更に文字を追って行く。

私にとって、読書は趣味にならない。 趣味にはある程度の反復性を伴うものと思う。
私の場合、一度手に付けた書物は一気に何時間も夜通しで読んでしまうもので、そして、本にはどんなものであれ結末(=終わり)がある。
一度読んでしまった本はそこで終わる。 確かに、読み返したくなることはあるが、その感覚が起こるのは何ヶ月・何週間単位である。
一冊の本を集中して読み、読み終えてしまう。 私にとって読書は非常に反復性の低い行為である。(故に趣味とはなりえない)

話が脱線してしまった・・・。
つまり、一冊の本に、その本を読むために物凄い体力・想像力・気力・集中力を傾けるので、その他が疎かになってしまうのである。
なので、新しい本を読む、という行為に対してかなり慎重になって(しまって)いる。
一度始めたら止められない、故に本を買う/読むことを億劫に感じる。

# また脱線してる?
つまり、小説一冊にも『失敗』したいくないの。 決して高くはない賃金と高い労働力、時間を掛けるだけに見合うだけの本が欲しいのだー!
なんか偉そう・・・
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ですので、この 「おかしな二人」 をパラ読みして、次に読む作品を選びたいと思います。

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